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総合図書館には,多くの貴重資料を所蔵していますが,今回紹介するのは橘曙覧直筆の短冊と,山川登美子,与謝野鉄幹,与謝野晶子等の署名のある扇面です。
この2つの資料は,傷みが酷くなってきていたため平成16年度にレプリカを作成しました。
撮影に使用したカメラ |
なお,
日本財団図書館(電子図書館)レジャーチャンネル番組案内等掲載 月刊「吟剣詩舞」:2003年4月号
(http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2003/00718/contents/0010.htm)
の編集後記には
『江戸末期の歌人、橘曙覧が世に出るには、佐佐木信綱が一役かっていたそうです。信綱は、曙覧の「志濃夫廼舎歌集」を愛蔵していましたが、あるとき正岡子規から、何かよい歌集を貸して欲しいと頼まれ、これを貸したそうですが、子規は一読して「曙覧こそ源 実朝(みなもとのさねとも)以来のただ一人の歌人である」と全国に紹介したため、橘曙覧が一躍有名になったということです。』
と書かれています。
総合図書館が所蔵している橘曙覧の短冊には,
くろむよはつひにあらしなしら玉の うるはし玉はくりにすれとも
と書かれています。 本学附属図書館の館報である「図書館 forum」の No.2(平成17年2月)では,これについて膽吹 覚(いぶき・さとる)先生(留学センター)から寄稿していただいており,
http://www.flib.u-fukui.ac.jp/forum/forum2.pdf
へアクセスすることで読むことができます。
橘曙覧の短歌は以下の Web ページにアクセスすることで読むことができます。
ここでは『志濃夫廼舎歌集(五巻)を本とし』ているが,『この歌集には長歌の類が載つてゐないので、別に藁屋詠草を加』えているとのことです。(下記 Web ページの凡例による)
なお,「たのしみは」で始まる「独楽吟」も第三集の「春明草」で読むことができます。
橘曙覧歌集
http://www.j-texts.com/sheet/akemi.html
(
J-TEXT 日本文学電子図書館)
← 総合図書館が所蔵している「志濃夫廼舎歌集」 |
明治32年,正岡子規が新聞「日本」に「曙覧の歌」
([918.6 / MEI / 53] 75-00334「明治文學全集53 正岡子規集」に収載 [p.226])
を掲載し,その中で
『歌人として實朝以後只一人なり。』
『歌人として彼を賞贊するに千言萬語を費やすとも過贊にあらざるべからず。』
と絶賛したことで全国的にその名を知られるようになったとのことです。
一般的には,天皇・皇后両陛下が初めてアメリカを訪問した平成6(1995)年6月に,当時のクリントン大統領が歓迎スピーチの中で
"It is a pleasure when, rising in the morning, I go outside and find a flower that has bloomed that was not there yesterday."
『楽しみは 朝起きいでて 昨日まで 無かりし花の 咲ける見る時』
という短歌を引用したことで有名になりました。
このときの歓迎スピーチは
THE WHITE HOUSE Office of the Press Secretary
http://ibiblio.org/pub/archives/whitehouse-papers/1994/Jun/1994-06-13-President-Remarks-on-Arrival-of-Japanese-Emperor-and-Empress
で見ることができます。 これをきっかけに福井市では「歴史のみえるまちづくり」のなかで 『貧しさの中にあっても心豊かに生きていた曙覧の世界に学び、生活の中で感じた身近な楽しみを詠んだ歌を「平成独楽吟」として募集』し,すでに平成16年で第10回となっているようです。
クリントン大統領が引用した橘曙覧の短歌は「たのしみは〜」で始まり「〜とき」で終わる一連の短歌の一つで「独楽吟」として, 明治11年に橘曙覧の長男である井手今慈が刊行した「志濃夫廼舎歌集」の第三集春明艸に52首が収録されています。
実は驚いたことに,小泉総理大臣もまた「たのしみは・・・」という歌を作っていたようで, 「 小泉内閣メールマガジン:2001/08/30号」 の[らいおんはーと 〜 小泉総理のメッセージ]には
たのしみはたまの休みに朝寝してせみの声聞き寝たり起きたり
が紹介されています。
山川登美子が初めて与謝野鉄幹や与謝野晶子に会ったのは,明治33年(1900)8月4日大阪北浜の平井旅館ですが(与謝野晶子が鉄幹に始めて会ったのもこの日),
その翌々日の6日関西青年文学界堺支部の宅雁月,河野鉄南主催の歌会が浜寺公園内の料理旅館「寿命館」で開催されました。
(5日は大阪書籍商組合会議室に開かれた「新派和歌に対する所見」と題する鉄幹の文学講話会に出席)
総合図書館が所蔵している扇面は,8月6日の歌会の記念として山川登美子,与謝野鉄幹等の出席者が名前を寄せ書きしたもので,8本中現存する唯一のものだそうです。
与謝野鉄幹が「敗荷」という詩のなかで,山川登美子への切ない思いを 「おばしまに倚(よ)りて 君伏目がちに 鳴呼(ああ)何とか云ひし 蓮に書ける歌」と記しているとする
敗荷(はいか)(与謝野鉄幹・山川登美子)
http://www.asahi-net.or.jp/~hm9k-ajm/musasinobunngakusannpo/tekkannakiko/haika/haika.htm
の Web ページでは,この詩とともに与謝野鉄幹と山川登美子との出会いから別れまでのことが書かれています。
このページでもふれている津村節子の「白百合の崖(きし)」は,「山川登美子・歌と恋」というサブタイトルでもわかるように『鉄幹との恋』を『歌だけを拠りどころにして,私なりの展開を試みた。』(同書「あとがき」)小説です。
先に紹介した「白百合の崖」には,登美子が亡くなったとき
『登美子の掛蒲団を剥ぎ,庭に放り投げた。』 のは 『死者の身につけていた物を焼き捨てるのが,この地方の習慣だった』 ためであったが, 『敷蒲団の下からは,ノートが三冊出てきた。』 ものは勿論 『机の引出しの中の雑記帳や手紙類まで投げた。』 が, 『亮蔵(注:登美子の弟)は庭下駄をつっかけて庭へ降りると,先刻のノートを拾い上げ,素早く懐に入れた。』
と書かれていますが,写真はこのときのノートです。
山川登美子の母校である梅花女子大学(明治30年、梅花女学校本科邦語科卒業)では,登美子を顕彰し「梅花・山川登美子短歌賞」という『新しい才能を発掘する場』を提供しています。
梅花女子大学 教育理念
http://www.baika.ac.jp/rinen/index.html
【Int.Archive】
与謝野晶子の第四歌集といわれる「恋衣」ですが,これは山川 登美子,増田 雅子との合著詩歌集で,登美子の生前に刊行された唯一の歌集だそうです。
なお,与謝野晶子の有名な詩「君死にたもうことなかれ」もこの詩歌集に含まれています。
この「恋衣」を
恋衣:近代画像データベース(国文学研究資料館)
http://school.nijl.ac.jp/kindai/CKMR/CKMR-00015.html
では,発行当時の雰囲気のままの「恋衣」を画像で読むことができます。
また,テキスト表示では以下の Web ページで読むことができます。
恋衣:J-TEXT 日本文学電子図書館
http://www.j-texts.com/sheet/koi.html
恋衣(こいごろも):青空文庫
http://www.aozora.gr.jp/
index_pages/person318.html#sakuhin_list_1
恋衣:近代詩歌文学館
http://www.konan-wu.ac.jp/~kikuchi/akiko/koi.html
請求記号 登録番号 | 書誌等 | |
---|---|---|
918.6 / MEI / 53 75-00334 | 明治文學全集53 正岡子規集 | 曙覧の歌(p.226) |
H911.5 81-05606 | たのしめる哥 | 松平春嶽公撰 たのしめる哥 |